見聞読考録

進化生態学を志す研究者のブログ。

ボランティアに行ってきた

覚悟はしていたつもりだったが、衝撃的な光景だった。想像が実際に遠く及ばないのは、僕の想像力が乏しいせいだろうか。3.11の震災から三ヶ月弱。復興への道のりはまだまだ長いだろう。悩んだけれども、少しでも多くの人に現状を伝えたいと思い写真を載せることにする。



活動した場所は岩手県大槌町。中心街は津波の被害を受けてほとんど更地の状態になっている。しかしこれでも周辺の街と比較すると復興へ向けた作業が進んでいるように見えた。トンネルをいくつか抜けた先の隣街では未だ瓦礫の撤去すらほとんど進んでいない状況。



大槌町の被災地を走る自衛隊の車。立ち並ぶ建物は津波後の大規模な火災により全焼している。日本の光景とは思えなかった。



地盤沈下により水没した大槌港付近の道路。



津波により地上部分が刈り取られた隣街の松原。



押し流された巨大な堤防。津波の威力を物語る。





これが現状。被災地は復興に向けて歩み始めたばかり。


その一方で、復興に向けた作業も着々と進んでいる。海岸線の国道も問題なく走ることができた。被災した保育園は新しく立て直され、コンビニエンスストアも営業を再開している。寝る場所さえ確保できればボランティアが入っても許される状況はすでに整っていると思う。むしろ今はできるだけ多くの人の助けが必要な段階にきているだろう。詳しいことはわからないけれども、現状では人手が全く足りてないのではなかろうか。皆、時間を作ってボランティアに行けばいい。



道端に並ぶ、ボランティアにいらした方々によって運び出された被災家屋内の泥や家財道具。再び人が住めるようになるまでに家屋を修繕するためには文字通り泥臭い地道な作業が必要。そのための人員も大いに必要。



ボランティアの現場。軒下に流れ込んだ泥や礫などを土嚢に入れて運び出す作業に従事した。これまで体験したことがないほどの重労働に体が悲鳴を上げる。しかし、だからといってボランティアへの参加をためらう必要は全くない。力がなくても気が利かなくても自分のできることをやればいい。あくまでボランティアなのだから。


非力な自分がたった一人でボランティア活動に参加しても、何の助けにもなりはしない。名目だけ被災地に足を運んでもただの気休めにしかならない。被災地の役に立ったと自己満足に浸るだけ。
そんな風に考えてボランティア活動への参加をためらうのならそれは考えを改めた方がいいと思う。気休めでも自己満足でもいいじゃないか。ボランティア精神というものには元々そういう側面があるものだし、それによって実際に助けられる人がいるのもまた事実なのだから。


見聞読考録 2011/06/06