見聞読考録

進化生態学を志す研究者のブログ。

あれから2年、と1日

にわかには信じがたいことだが、東日本大震災からもう2年の歳月が過ぎたそうだ。ついこの間のことのように思うのは、やはり当時の衝撃が大きく、未だにそれを引きずっているからだろうか。


昨日今日と、震災関連の記事が多く上がっている。そんな中、被災地の今を映像で伝える記事があった。


被災地、その時と今
時事ドットコム東日本大震災


これを見てどう思うだろうか。
ずいぶん復興が進んでいると見る人もいるだろう。
まだまだ復興に向けて進み始めたばかりと言う人もいるだろう。
たぶんそのどちらも間違っていない、と僕は思う。


この二年間、多くの人が復興に向けて動いたはずだ。
それでもまだまだ復興への道のりは長く険しい。
それは単に政府が無能だ、とかそういう次元の話でなく、それほどまでに被害が甚大だったということに他ならない。
二年間、多くの人が心血を注いで、ようやく更地の状態にできた、いや未だに大量の瓦礫の山と戦っている、そういう場所だって少なくないのだ。


当たり前だ、というかもしれない。
でもその当たり前をどれだけの人が正しく認識しているだろうか。文章だけ呼んで理解したつもりになってはいないだろうか。


実は、かくいう僕も、先日出先で話したトラックの運ちゃんから、被災地の現状を聞いて、とショックを受けたばかりだ。まだそれだけしか復興が進んでいないのか、まだ被災地の方々はそれほどまで苦しい生活を強いられているのか、と。
頭でわかっているつもりでいることと、現場を知る人から直接聞く現状との大きな隔たり。いつの間にか広がっていた、想像と現実との乖離に、驚きを隠せなかった。


インターネットが普及した今、熱しやすく冷めやすい人々が増えているという。日々、大量に溢れ出る情報に、古い情報が置き換えられやすくなっているということだろう。
僕が驚いたのも、そういうことが原因なのではないかと考察する。あるいは、人間が本来もつであろう、物事に「慣れる」という性質が、感覚を麻痺させ、辛い記憶を薄めているのかもしれない。個人的には、楽観的な性格が作用しているとも考えられる。


でも、それでいいはずがない。
いくら情報が早く廻る時代になったからといって、それによって全てが変わるわけではない。人の大きさはそうそう変わらないだろう。人の一生の長さもなかなか変わらない。一人の人のもつ力だって、今も昔もだいたい変わってはいないはずだ。


日本だけではなく、世界中が震撼した大地震と大津波
被災地の方々は、それに耐えるという苦行を未だに続けている。
被災地の方々だけではない。
至って平和に見える日常の裏で、復興に向けて必死に働いてくれている人達がいる。
その人達に全てを押し付けて良いのだろうか。


この2周年が日本中、いや世界中の人々の認識を新たにする機会となることを願う。


見聞読考録 2013/03/12