見聞読考録

進化生態学を志す研究者のブログ。

「紅の豚」,「シン・ゴジラ」,そして「君の名は。」

君の名は。」。
皆さんはもう観ただろうか,はっきりと名作である。歴史的名作となることだろう。


昨日は,二人のオタクとすすきので飲んできた。
職業はお二方とも准教授である,しかしここではオタクであることの方が重要だ。


君の名は。」,一度観ただけでは全てを把握しきれない。
そもそも理解力の低い私は,映画を一度で理解できることの方が少ないのだが,特に時系列が錯綜する今作は,極めて難解だった。
もう一度観なければわからない。もう一度観に行きたい,いや行かねばならない。そう思わせる稀有な作品でもあった。


「「君の名は。」の中で最も重要なシーンはどこだろうか」
そんな中繰り出されたのが,上述のオタク(Hさん)の問いかけであった。
飲み始めて間もなく,一番最初の話題であったと思う。


私は何しろ,こういう問いかけは苦手である。国語や古文などで「作中の主人公はその時どういう気持ちだったでしょう」などと問われた日には,例えそれが選択問題だったとしても,かなりの高確率で外し続けてきたほどだ。知るか,私は主人公ではない。主人公の勝手だろう。私は昔から国語が大の苦手であった(しかし好きではあった)。


「「シン・ゴジラ」の最後に,ゴジラの尻尾から生まれつつある異形の者達が映し出されるが,あれは何を表しているのか」
クローン繁殖しようとしてたんでしょ,とかそういう話ではない。あれが何を暗示しているのか,そういう問いである。
テンで思いつかない,シュレーディンガー方程式を最初に目にした時と同じくらいさっぱりわからない。


ジブリの「紅の豚」の最後に,ポルコの魔法は解けたのだろうか,人間に戻れただろうか。また戻れたとしたらいつ,何がきっかけで戻れただろうか」
人間に戻ったのは確かだろう。最後のカーチスの反応を見ればわかる。でもいつって,フィオにキスされたときじゃないの。
でもどうも違うらしい,オタク(Hさん)曰く。ジーナの目を直接見たときだという,オタク(Hさん)曰く。さっぱりわからない。


そこで私は「ではフィオにキスされたときに魔法が解けた,という代替仮説をどう棄却するのか」と問うた。
棄却できない限り,ジーナの目を直接見たときだと言い切れないではないか,と。


オタク(Hさん)の答えは曖昧なものだったが,もうひとりのオタク(Yさん)の答えは明確だった。
「筋が通っているし,何よりそう考えると面白いではないか」と。


そうか,これが文学というものか。
明確な答えを求める必要はない,解釈が重要なのだ。
言外にある作者の意図を汲み取ることが重要なのだ。


こんな簡単なことに気づくまで,飲み始めてからすでに6時間,生まれてから29年と9ヶ月が経過していた。
つくづくアホである。


この歳になってようやく,文学の楽しみ方がわかった。気がする。
今なら作中の主人公の気持ちもわかる。気がする。


見聞読考録 2016/11/19