見聞読考録

進化生態学を志す研究者のブログ。

『働かないアリに意義がある』

北大農学部の進化生物学者,長谷川英祐博士による話題作。部屋が向かいで,飲み仲間でもあるということで,せっかくなので購入して読んでみた。


「働かないアリに意義がある」
長谷川英祐(著)


端的に言って,素晴らしかった。まぁベストセラーになるほどの話題作だし,普段の会話を思えば,そんなことはわかりきっていたのだけれど。


まずは,タイトルにもある「働かないアリ」についてのレビュー。アリを始めとする真社会性生物のコロニーがどのように維持されているのか,個体の「反応閾値」が異なることが,コロニーの存続にいかに寄与し,ひいては「働かないアリ(=働きたいのに働けないアリ)」の存在がいかに有意義であるのか。などと言った,真社会性生物に関する網羅的な研究の紹介。


例え話を使って非常にわかりやすく書かれているし,不慣れな研究分野を俯瞰するような達成感があった。


もちろん科学書としても良質だったのだが,僕にとって殊にこの本が素晴らしかったのが,強烈な社会的メッセージを発していることである。「身につまされる最新生物学」という売り込みの通りであった。


さらに,主義主張があることも素晴らしい。ただのレビューではない,その先の面白さを鮮やかに提示していた。特にダーウィンに挑むまでのくだりは,画期的ですらある。何気なく書かれていたが,そんな次元の話ではない,世界が変わるほどの話に思えた。


著者あとがき「変わる世界,終わらない世界」には心が震えた。

私は,普段人々が気にも留めないちっぽけなムシたちを主な研究材料にしています。実学的な意味ですぐに役に立つことはありません。しかしムシ眼鏡を通して人間の世界を見ると,実に面白い。様々な環境が変わりつつあり,いままでのやり方が通用しなくなりつつある日本という人間の社会が,どうしようとしていて,それはどのような結果をもたらすだろう,など,普通に行きていたのではまったく見えないであろう世界を,ムシのグリグリ眼鏡は私に見せてくれます。


心理に出会えた瞬間はとても感動的で,良質な芸術がもたらしてくれるのと同質な感動を与えてくれます。基礎科学は,すぐ役に立たないという意味で働かない働きアリと同じです。しかし,人間が動物と異なる点は無駄に意味を見出し,それを楽しめるところにあるのではないでしょうか。お話してきたように,生物は基本的に無駄を無くし,機能的になるように自然選択を受けていますから,無駄を愛することこそがヒトという生物を人間たらしめているといえるのではないでしょうか。


科学の中に短期的なムダを許さない,余力のない世界をつくってしまうとどうなるのか?


変わる世界,終わらない世界がどのようなものになっていくかは誰にもわかりません。しかし願わくは,いつまでも無駄を愛し続けてほしい。短期的な効率のみを追求するような世界にはなってほしくないと思います。ちっぽけなムシが示しているように,そういう世界は長続きしないかもしれませんし,なにより無味乾燥で,生きる意味に乏しいと思います。


社会が息切れしそうになったとき,働かない働きアリである私や,他の生物の研究者たちの地道な基礎研究が,「人間」が生き続ける力となればいいなぁ。確かなことはわからないけれど。


ちゃんとした研究者が,ちゃんとしたメッセージを,科学だけでなく社会に対しても発信することは,今の日本を,あるいは世界を鑑みて,極めて重要であると思う。長谷川さんは,ちゃんと哲学してるなぁ。。


留学先のオランダで先進国のなんたるかを否応なく見せつけられ,日本の不甲斐なさに気付かされるにつれ,勇気を持って発言することの尊さを思わずにはいられない。本書の放つ,正しい科学に基づく強烈なメッセージを,全ての日本人が理解すれば,もしかすると世界が変わるかもしれない。


ルクセンブルクへ向かう車窓に映る山間の河の流れを追いながら,そんな慰めにもならない妄想を膨らませた。


見聞読考録 2017/06/03