見聞読考録

進化生態学を志す研究者のブログ。

研究手法の発達とその弊害

ここしばらく,高価な試薬やキットを使う実験をさせていただいているのだが,ラボの学生さんが結構頻繁に失態をやらかす.


つい数日前は修士の学生が,一つ十数万円もする試薬パッケージを種類を間違えて解凍してしまっていた(一度解凍すると,使うしかない.もう一度冷凍することはできない).


さっきも学部の学生が,一つ数万円する要冷蔵のキットを冷凍してしまっていたことが発覚したばかり.それも6つもまとめて.カチンコチンに凍り付いた,凍り付いてはいけない精密機械を見て,背筋が寒くなった.


見ていてドキドキする.心臓に悪い.


実験にミスはつきものだし,仕方がない部分もあるだろう.同じ失敗を何度も繰り返すようではいけないが,そうでないならば,ある程度は許容されるべきだと思う.たとえそれがボンミスであっても.失敗を重ねて,反省をして,人は成長していくものだ.それも,学部や修士の学生のような若人ならば,なおさらだ.


しかし,近年の研究手法の高度化・高額化に伴い,たった一つのミスが,非常に手痛いダメージを伴うようになってきてしまった.僕が学生時代に行っていた研究でさえ,一つ一つの行程に数万円はかかろう試薬を用いていたが,今ほどではない.この流れは,ますます加速されているように見えるし,これからも進行するだろう.研究に関して言えば,ますます失敗が許容されにくい時代になると見て良いだろう.いや,研究の世界だけの話ではないかもしれない.


失敗が許容されないということは,逆にいえば,成長の機会が少ないということになる.これは,由々しき事態だと思う.失敗をするくらいなら,何もしない方が良い,という発想に至る人も多いはずだ.


決して,そうさせないようにしなくてはならない.
少なくとも,教育機関でもある大学としてはその点に注意を払うべきろう.「結局のところ何もしないのが一番.ことなかれ,ことなかれ」なんて考えの人間ばかりが育つ世の中では,お先真っ暗だと思う.


見聞読考録 2015/02/05