見聞読考録

進化生態学を志す研究者のブログ。

なぜ生物の学名にラテン語が使われるのか?

なんだか最近元気が出ない。
寒くなって来たからだろうか。
うーむ。ここは無理矢理にでも元気出して頑張らねば...そうだ、ラテン系音楽でも聞いてみよう。


ラテン系音楽といえば、ちょっと前に、キューバ人が近くにいたときに仕入れた "Vem Dançar Kuduro" が、一番のお気に入り。フランス出身のアーティスト Lucenzo が 2010 年にリリースし (Lucenzo feat. Big Ali) 、その後プエルトリコ出身のアーティスト Don Omer がカバーして (Don Omer feat. Lucenzo)、全世界で驚異的な売り上げを記録したヒット曲だ。ちなみに、原曲の PV の撮影場所はキューバの首都ハバナだそうな。

"Vem Dançar Kuduro", Lucenzo feat. Big Ali

"Danza Kurudo", Don Omer feat. Lucenzo


そんなこんなで曲がりなりにも元気を取り戻し、気づけば勢い余ってラテン系音楽の魅力を研究室の先輩に語ってしまった。ラテン系音楽の威力は絶大だ。


そもそもラテン系とは、ラテン語を起源とする言語を母語とする人々、及びその文化の総称 (Wikipedia より) であるとのこと。個人的には情熱的で明るいイメージを勝手に抱いている。友人のキューバ人しかり、先の "Vem Dançar Kuduro" しかり。




さてここからが本題。
全ては、先輩の発した一言から始まった。


先輩:
ラテン語ってまだ使っている人達いるんだっけ?


自分:
いやいや!死語でしょ!
だから、生物の学名にラテン語が使われるんじゃないんですか?


補足だが、学名とは、生物につけられた世界共通の名称のこと。
学名には(主に)ラテン語を用いることが、国際命名規約によって定められている。


なぜ生物の学名にラテン語が使われるのか?


僕はこう認識していた。
・誰も母国語としてないから、世界中の人が使うにあたってフェアである
・変わることのない止まった言葉だから、永久に変わることのない名称を与えることができる
だから、ラテン語は死語に違いない、と思っていたというわけだ。


だが、この認識は正確ではなかったと言わざるを得ない。


まず、ラテン語は完全な死語ではない。
例えば、ラテン語を母国語とする国ないが、公用語とする国が存在する。
バチカン市国だ。
世界最小の国家、古き良きローマの面影を残す歴史ある国家である。
さすがに、一般人がラテン語を使うことはないようだが、トリック教会の正式な公用語に採用されているらしく、協会が公式見解を発表する際には、ラテン語が使われるという。


しかし、口語ではすでに使われていない。口語としては死んでいる。
会話で使われなくなったということは、現行の言語と違ってラテン語がほとんど変化することはない言語であると言って良いだろう。
そうすると、自分の認識も大筋では当たっているように見える。
すなわち、世界中の人が使うにあたって ほ と ん ど フェアで、ほ と ん ど 永久に変わることのない名称を与えることができる。
だから、生物の学名にラテン語が使われるのだ、と。
しかしこれでは、説明として不十分だということに気づく。




なぜ生物の学名にラテン語が使われるのか?


おぉ。
これはもしや深みにハマる系の問いかけなのではなかろうか?
嫌な予感がする。が、考えを進めてしまおう。


多種多様なモノを選り分け、名前を与え、体系化するという作業を、"分類" という。
特に生物を分類するという厄介な作業のための基礎を築いたのが、分類学の父、カール・フォン・リンネ (Carl von Linné, Carolus Linnaeus) である。
リンネは、1735年に発行した『Systema Natura(自然の体系)』の中で、二名法という命名方法を提案し、現在の国際命名規約もそれを元にしている。


二名法。生物の種名を、"属名" と "種小名" を列記することで生物の種名を命名する方法。
なお、"種" をどう定義するか、まで書き始めると、深い深い闇に捕われる危険性があるので、ここでは触れない。危険を冒しても思考の旅に出たいという方は手始めに三中信宏氏の『分類思考の世界 -なぜヒトは万物を「種」に分けるのか-』を読んでみることをお勧めする。ここでは、ヒトに、ナナホシテントウに、名前をつけて識別したくなるその心理が理解できればそれで良い。


二名法の提案と同時に、生物の学名をラテン語で記述することを提案したのもリンネだ。


例えば、リンネは 1758年に
ヒトの学名を Homo sapiens
ナナホシテントウの学名を Coccinella septempunctata
と、ラテン語で記載している。


homo =人
sapiens =賢い


coccinella =真っ赤な色をした
septempunctata =7つの点がある


という意味だ。


この時点で一つの答えが得られる。
「なぜ生物の学名にラテン語が使われるのか?」という問いに対する一つの答え。
それは、リンネが、生物の学名にラテン語を用いることを提案したからだ。
しかしこれでもまだ、問いに完全に答えたことにはならない。




なぜ生物の学名にラテン語が使われるのか?


答えが不完全と思うのは、この問いが実は二つの問いを内包しているからではないだろうか。
つまり、
なぜリンネは生物の学名にラテン語を使おうと思ったのか?
という「過去」に対する問いと、
なぜ今なお生物の学名にラテン語を使っているのか?
という「現在」に対する問いの二つである。
よって問いに完全に答えるためには、内包する二つの問いのそれぞれに答えなければならない。


冒頭で(ラテン系音楽の件ではなく)述べた認識は、内包する二つの問いのうちの後者、「現在」に対する問いに答えるものだ。リンネ以後、全ての分類学者がラテン語を使い続けて来たのには、ラテン語に備わる特典があるから、という答えである。リンネがラテン語を用いることを提案したから、という答えも同じく後者に対するものだ。
後者の「現在」に対する問いについては、調べてみると、上記以外にも思っていた以上に多くの理由があるようだ。
「学名にラテン語は必要か」というページには、8つの理由が挙げられていた。
少し改変して載せてみる。


1. 口語として死んでいるので,特定の言語圏に特に有利な点を与えない公平な表現

2. 文法が整備されているので誤解を招かない

3. 形容詞・副詞が豊富で記載に有利

4. 独立奮格という他語にない文章構成が可能(植物の場合学名だけでなくdiagnosisもラテン語をつけることになっている.この場合のdiagnosisはこの独立奮格を用いるケースがほとんどである)

5. 造語が簡単で、全ての原語をラテン語化できる
  例:
  Benzaitenia enoshimensis
  江ノ島の弁財天の下の海岸でとれた海藻につけられた名前

6. 近代学問が発展したヨーロッパではラテン語派生が多く、利便性がある( 1.と矛盾するが!)

7. 命名規約をそのままにして、いかなる言語でも新分類群の記載につかえるようにすると、追跡研究する時にはそれらの言語全てを理解しなければならなくなる

8. 他の言語に書き換えるには、相当な労力がかかる


冒頭で(ラテン系音楽の件じゃないってば)述べた認識の一方は、1. に相当する。
他方、「変わることのない止まった言葉だから、永久に変わることのない名称を与えることができる」というのは、ここには書かれていない。仮に 9. とする。
さらに、「リンネがラテン語を用いることを提案したから」というのは、8. に該当するとして良いだろう。


なぜ今なお生物の学名にラテン語を使っているのか?


この「現在」に対する問いには、これで答えたことにしよう。


逆に生物の学名にラテン語を使うべきではない、とする考えもあるようだ。
ほら。やっぱり深みにハマる系だったよこれ。


改変して引用:学名にラテン語は必要か




次。前者、「過去」に対する問いについて考えてみる。


なぜリンネは生物の学名にラテン語を使おうと思ったのか?


リンネが生きた時代、ラテン語は今より使われていたのではないだろうか。
だとすると、リンネは、これまでに書いてきた9つの理由とは違う理由で、生物の学名にラテン語を使い始めた可能性もある。
いや、その可能性の方が高い。


早速調べてみy...


やっぱ止めた。
疲れちゃった。
ラテン系音楽の助けを借りても、もうエネルギー切れ。


どうせ、
当時の上流階級の間でラテン語が流行ってたから、とか、
教養の高い人にしか扱えないカッコ良いオシャレな言語だったから、とか、
そんな理由なんじゃないの?
知らんけど。


続きはまた気が向いたときに。
あー楽しかった。


見聞読考録 2012/11/18